「生命倫理」をご存知ですか〜人生の最期について、ポジティブに考えてみませんか?
こんにちは、ライフスタイルコンサルタントの野田千穂です。
先日、友人である杏林大学 保健学部 准教授の角田ますみさんの公開講座に参加してまいりました。サブジェクトは下記写真の通りです。
彼女から「生命倫理」という言葉をはじめて聞き、私のライフワークは「生命倫理」で「人生における意思決定」が私のテーマ、と前々から伺っていました。彼女の講座をいつかお聴きしたいと思い、本日に至りました。
私ごとですが、先月、救急搬送され手術後ICU(集中治療室)に入る大怪我をしました(*1)。もし自宅で一晩様子を見ていたら、危ない状態でした。そんな出来事もあり、さらに興味深く講座をお聴きしました。
ますみさんのキャリアパス
はじめの専攻は心理学を選ばれたそうです。途中で想うところがあり、変更し看護分野を学ばれたそうです。
私と同じく転職経験が複数回あり、 興味深いキャリアパスをお持ちです。
卒業後、大学病院の看護婦
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若手医師から、使用する薬の助言を求められたとき、私もベテランになったと自覚。環境に甘んじたくないと、訪問看護の仕事へ移る
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単身者の訪問看護を経験し、ひとりひとりの生き様にエールを送りたくなる
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現場で向き合った数多くの経験と考えを、教育の道で活かしたいと思うようになる
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新規で何のコネもない、大学で教えるという道へ進む
私のライフワークは「生命倫理」です、ときっぱり言いきるますみさん。過去の転職を拝見しても、つねに自分と人生のミッションについて話し合い、周りに流されず新しい道を切り開いて進んでいく、向上心溢れる方だとわかります。
ますみさんの著書については、最後にご紹介させてください。(*2)
私が主催するmyライフスタイルセミナーよりもさらに先のことにフォーカス。90歳の自分⁉︎
まず、このお写真のワークから始まりました。
あなたは今(90歳)です。各項目に答えてください、というもの。
私の回答は、
さすがに今よりも体力が衰えていますが、基本的にとにかく最期まで、自分で主体的に生活をする。最低限自分の事は自分でできる姿を希望しました。
やはり私の性格上、主体的に生きるというポリシーから、外れることができませんでした。入院中もそうでしたけれど(笑)
今、終末期の現場で起こっていること、現場を語ってくださいました
1. 意識がないHさん、75歳男性の場合:
ご家族が処置に同意し、入院治療を受け続けています。Hさんの奥さまは、厳格で昔気質のHさんにもし意識があったら、「やめてくれ」と言うに違いないと思っています。
2、認知症と大腿骨骨折骨折で意識がなく寝たきり状態のAさん、92歳女性の場合:
医師から胃ろう増設をするか、尋ねられているお嫁さんB子さんは、体を傷付けるまで延命したくないと胃ろうに反対。しかし相談、頼れる人もなくどうしたらいいのか、と悩んでいます。
3、自分の意思を表明することができないAさん87歳を、治療している施設医Oさんの場合:
脳卒中の後遺症のためほとんど動けず、話すこともできないAさんは、家族とも絶縁状態。毎回処置をするときに水も薬も拒否して、看護婦を睨んでいるAさん。Aさんの判断能力の裏付けができなく、Aさんが希望している治療をしているのかと考えると辛いOさん。
これらをお聴きすると、患者たちが健康で意思決定できるときに、自分の救命と延命についてはっきりとした意思を残していれば、関わる方々も悩まなく、ご本人の意思を受け継いだでありましょう。
ますみさんからの強いアドバイス
- これからの人生をどう生きていくか
- どのような年の取り方をしたいのか
- 人生の転換期に何を選ぶか、選ばないか
明確に決めておきましょうと。
おひとりおひとりに質問しているますみさん。まさにこれが私のライフワークなの、と輝いていらっしゃいます♪
アドバンスケアプラン二ング(ACP)の重要性
自分が患者となり、心身機能が低下したときに、家族は様々な選択や決定を迫られる場面があります。
治療の進め方や最後の迎え方など目標を考えて計画する、そして定期的な確認と見直しをすること。これを「アドバンスケアプランニング」というそうです。
先月、私が大怪我をして救急搬送され手術が決まったとき、医師は、意識がはっきりとして手術台に横たわっている私に、病状と処置の説明をしました。すぐさま私は造影剤や輸血などの同意書に次々とサインをしたのです。もしも私が意識不明であったなら、私の家族がそれらの同意書にサインをし、手術が行われていたでしょう。
まさにこのこと!私以外のまわりの人々が私の診断・治療について、様々な選択や決定を迫られ、実際に決断しなくてはならない状況があるということ。決断をさせられ方は、のちのち罪悪感に悩まさせられることもあるそうです。日頃から家族やまわりに負担をかけないよう、自分の意思を伝えるべき人々に、はっきりと明確に伝えておこうと考えました。90歳、もちろんまだまだ遠いことと思いますが、実際にICUに入る経験をした私は、若くても緊急な状況は突然やってくるということを身にしみて実感しているからです。
家族やまわりの人と、人生の最期について語ることはタブー⁉︎
みんなの健康状態が安定してる時に語り合うこと、これが重要だとますみさんはおっしゃいます。
私の母が以前さらっと話していたこと……
「私は胃ろうをしてまで延命したくない」と話していたことを思い出しました。母にもう一度確認しますが、自分の人生を主体的にとらえ、まわりのことを考えている発言だったかと改めて気づきました。
まとめ: さあ、あなたは身近な人の最期・あなたの最期のために、これから何をしていきますか?
私は両親が元気なうちに、さらっと下記のことを聞いてみようと考えました。
まずは私の話、先月命が危なくなる経験をしたことを切り口に、アドバンスケアプランニングを話題に出してみようと思います。
- 苦痛への対応: 薬を使うか?
- 最期を終えたい場所: 自宅、病院
- 延命治療の程度: 胃ろうなど、人工呼吸器の装着
- 代理判断者: 家族を選ばない人もいるそうです
私は、人生の最期について語り合うことを、とてもポジティブにとらえています。myライフスタイルを自分で構築する凄みが楽しいのに、最期を人任せになんてできません!なんといっても、自分で生きる、自分の人生なのですから!
余談ですが
私が常々思うことがあります。
教育者は、現場や世間の経験を充分に積んだ方であって欲しい。私が学ぶのであれば、絶対にますみさんさんのような方を選びます。教育は、やはり机の上でだけでは教えられない、伝えられない、実践者から学ぶ凄みがあるのです。例えば、MBAを教えている方が、実践のビジネス経験もない教育者だとしたら皆さんにとって魅力はありますか? 説得力はありますか? みなさんは、どう思われますか?
講座の後は
ご一緒した友人たちと、ますみさんを囲んでランチ会。こちらの奥様たちは、愛するご主人に、どのようにして「アドバンスケアプラン二ング」の話しを切り出すか、で盛り上がっていました。私から見て、微笑ましい一場面でした♪
関連サイト
*1 チホのはじめて入院 ①〜④ICUから脅威の回復、失敗したこと、学んだこと
[blogcard url=”http://chiholife.com/archives/1655″]
*2 角田ますみさんの著書