池田晶子没後10年 池田晶子の言葉と出会う✖️トークイベント・イラストレーター 永沢まことさん
私の20年来の友人である イラストレーター 永沢まことさんから、お知らせいただいたこのイベント。
日本の哲学者・文筆家 池田晶子さんと関わりがあった方々が、池田晶子さんとの思い出を語るトークイベントです ( 6月24日までの連続トークイベント)
私が池田晶子さんを知ったのは、永沢さんが彼女の著書『2001年哲学の旅』で、絵を担当なさってから。2001年、私はロンドン在住中、永沢さんがその本を私のロンドンの自宅へ送ってくださったのです。当時、哲学というものにあまり慣れ親しんでいなかった私ですが、彼女の文章が私の思考と心にすーと入ってきたこと、今でも鮮明に覚えています。
「さて死んだのは誰なのか」
” 書き手が死んだ後にこそ、言葉は真に読まれる ” と池田さんは、公言していたそうです。会場デザインは、彼女の言葉が壁面に書かれている斬新さ(下記写真)。池田さんの魂を受け継いだ言葉は、まるで生き物のようにこちらに問いかけてくるのです。まさに、彼女の言葉は永遠に生きている。日常の言葉で美しく語る「哲学エッセイ」というジャンルを確立なさり、『14歳からの哲学』は話題になった一冊です。
永沢まことさんのトークから
『 2001年哲学の旅』で描かれた原画がお披露目され、永沢さんのトークが始まりました。
池田さんとのご縁
池田さんが小林秀雄氏に宛てた手紙が、全人生をかけたような読んだことがない文章でとても印象的に残り、永沢さんは読書カードを出版社へ送ったそうです。その後、池田さんから直筆でお返事が届きました。
永沢さんから、伊勢丹の展覧会の招待状を送り、池田さんと会場で偶然出会うなどを経て、その後、この本の絵の依頼をいただいたそうです。
海外の取材先でのエピソード・哲学者の生まれた家を訪ねる旅
H-G・ガダマー氏(101歳 現役のドイツの哲学者)との特別対談:
永沢さんはお二人の対談をスケッチしながら、「現在の最高知的レベルの会話を拝聴した」と語っておられました。この絵はガダマー氏の、対談途中から、お主(池田さん)なかなかやるな、の笑みを描いたとのこと。
永沢さん曰く「池田さんは、どんなに地位が高い人でもものおじせず、普通に会話をなさる方」とも語っておられました。
池田晶子さんについて
・ 池田さんが一貫して語っていた事は、「考えよ」
ひとりひとり考えに違いはあるけれど、一貫しているのは「考える」と言う事
・ 哲学という言葉を使いたくなかった。学問として捉えず、子供にもわかる平易な言葉で、伝えたかった。
永沢流、絵の描き方
永沢さんは、多くの著書を出版なさっていますので、ご存知の方も多いかと思います。
永沢流のひとつは、
消せるえんぴつではなく、消せないペンで緊張感を持って、自分の目線で描く方法。描けるものは、自分しか見えない物の見え方、自分の経験からなのだと、
語られました。
私が感じたこと
没後も影響力を持つ池田晶子さんの著書と言葉。
「さて死んだのは誰なのか」
イコール、私の言葉は永遠に生き続ける。
という、お会いしたことのない池田さんの想いを、しっかりと感じ取れた時間でした。
没我も、自分の著書や言葉が影響力を持つことは、文筆家冥利に尽くのでしょう。まだまだ人生修行中の私には何ができるのか? ブログなどで読者に、何かベネフィットを伝えること。
「考えます」
まさに、池田さんの「考えよ」
が頭の中でこだまします。
そして、池田さんが『2001年哲学の旅』の絵を永沢さんに依頼した背景には
・ 永沢さんが、池田さんの思想・哲学への想いを理解していたことをわかっていたから
・ 永沢さんの旅行してリアルを描くスタイル、人物を登場させるスタイルが好きだった
のではないか、そんなことを推測しました。
再読します『2001年哲学の旅』
自分の人生を生きる = 哲学
と捉えている私。
再読し、哲学と自分の視点を入り口に、16年前の自分と今ではどう変わったのかを、体感してみたくなりました。
この本の目次は、
序・哲学卒業 ではじまり
結・哲学入門 で終わる、 ユニークなスタイル
私は、この本を通して、再び哲学の旅へ出ることにします。
当日は、このイベントの「言葉」からすぐに思い浮かんだ、友人の文章力構成コーチ ゆかさんをお誘いしました。会場では永沢さんのファンである、友人のゆきさん(ブログ記事になっています・アシベノミクス)
にお会いするなど、ご縁つながりの佳き一日でした♪
永沢さんと原画(ゆきさんからいただいた写真)